長い間ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。
4月に湘南から、地元の大阪・堺市に戻ってきました。
絆Story写真館の福井小百合です。
引っ越した先は以前も住んでいたエリア。
実家も近く。
お友達や知り合いもいる。
そうは言っても、
やはり生活リズムを整えるのには
エネルギーが必要で、
なぜか心と体が動いてくれなくて
ナーバスになったり。
そんな4月を過ごしてきてたんですが・・・
5月のGWに楽しい家族の時間を過ごし、十分充電できたので、
気持ち新たに前進して行きます!
と気合いを入れたところですが、
まずは私が最近経験したことをお話させてください。
とても個人的な事です。
でも、私がなぜ絆Story写真館をしているのか。
私の写真に対する思いの原点になっています。
「写真にはチカラがある」
伝えたいのはいつもその事なのですが、
それを実感した私のストーリー。
長いので、前編・後編にわけました。
まずは前編からお付き合いくださいませ。
私のストーリー、タイトルをつけるなら
「家族関係の回復 -最終章- 」
で、なんで最終章なのかというと
それまでに色々あったから。
それまでの話はまた別の機会に。
っと、久しぶりの投稿でちょっとテーマが重いかな^^;
でも、私にとってはとっても大きな出来事。
そして大事な事。
もしかしたら、誰かにとっても大事な事として
共通点があるかもしれないからね。
手紙と写真に救われた、
私のストーリーをシェアします!
引っ越し直後に、ドカーンと目の前に
現れた乗り越えなきゃ行けない壁。
実は今まで何となくスルーしていた課題。
それは家族関係にまつわるもの。
今までの人生で一番大きな壁は乗り越えられた。
でも、まだ終わりじゃなかった。
神様が私に用意してくれた、
チャレンジングな出来事とは?
それは・・・
父方の祖母のお葬式に出席する事でした。
え?そんなに大変な事?
って思われますか。
でも、私にとっては祖母のお葬式に参加する事は
とても勇気のいる事だったのです。
祖母が住んでいたのは鹿児島。
鹿児島に行くのは実に30年ぶり。
私が小学生の頃までは夏休みには、
よく祖父母に会いに鹿児島に帰っていたのに。
行きの新幹線の中で、私は色々考えていました。
田舎の記憶として覚えている事は?
私が小学2年生の時に、優しかった祖父が
病により天国に行った時の事でした。
祖父は天国に行くにはまだ若かったのです。
そして、父や叔父達が祖父を前に男ながらに号泣する姿。
その光景が私には強烈な印象として残っていました。
その後の祖父のお葬式の事も思い出され。
それは田舎町の自宅で行うお葬式。
家の前には大きなお花が沢山立ち並び、
次から次へと親戚や村の人が来ていました。
大人達がせわしなく動くなか、
私たち子ども達は邪魔にならないように、
いとこ同士で家の周りで遊んでいたのです。
と、私の鹿児島の記憶はここまで。
祖父のお葬式以来、
私は鹿児島から遠のいていったのです。
父を受け入れられなかった私。
なぜなら。。。
その後、両親の夫婦関係が崩れていったから。
父を受け入れられない母は、父の田舎も毛嫌いするようになり。
母に寄り沿う子ども達は、母の影響を強く受け。
その結果、私も田舎から遠ざかっていくように。
中・高・大学生時代は家族よりも友達。
距離が遠いのもあるけど、田舎の事は忘れていました。
最終的に両親は私が大学生の時に離婚。
家庭の中には『父』対『母&こども』という
見えない境界線があって、離婚は必然。
今思えば、家族みんなで境界線を作り上げて
しまったんだなと思っています。
私は父を受け入れられなかった時期が長くありました。
なので、その長い期間に勝手に沢山の◯◯◯◯が
作り上げられていました。
それは、
勝手な「思い込み」。
その思い込みフィルターを通して、今回の事を見ていたので、
『父を仲間はずれにした孫娘を、きっと祖母は責めているかもしれない。』
『いや、もしかしたら父を嫌った孫娘を、祖母は嫌っているかもしれない』
『親戚もみんな、私たちを悪く言ってるんだろう。』
そんな心配や感情が私の心の奥底にあったんです。
だから、鹿児島に行くのが最初ちょっと嫌でした。
祖母の親戚に会うのが嫌でした。
勝手にアウェイ感を抱いていました。
そんな複雑な思いで当日を迎えました。
当時仲良くしていた、いとこ達も
はるばる関東から来る事が分かりました。
お互い小学生以来、30年振りの再会。
駅で合流した時に、変わらない懐かしい顔にホッとし、
勝手に感じていたアウェイ感も薄れていきました。
葬儀会場で見つけた、あるもの・・・
祖母のお通夜&お葬式は、祖父の時とは違い葬儀場での式。
お通夜で初めて祖母の姿を見た時、
「ああ、もう祖母とは話が出来ないんだ。」
「祖母の事をもっと知りたかったな。」
そう思うと悲しさが増しました。
祖母には「ごめんね。」って気持ちが溢れてきて、
祈りを捧げつつお別れを言いました。
お通夜での式が終わり、席を立つと会場のすぐそばに
「おばあちゃんの思い出コーナー」というのがありました。
写真が沢山飾ってあって、最近の祖母の姿を
知る事ができました。
そして、同じ場所に「孫からの手紙コーナー」
というのもありました。
何気なく近寄って見たその手紙に、思わず目を疑いました。
なんと!
そこにあった手紙を書いているのは
小学3年生の時の私でした。
(今の私の息子と同じ年。)
「えっーーー!」
その手紙を読んでるうちに、
気付けば涙が溢れていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何てこと!
おばあちゃんはこの手紙(他の孫からの手紙もあった。)を
こんなにキレイな状態でずっとずっと持っていてくれたんだ。
私がすっかり忘れてしまっている頃の手紙。
忘れたのを良いことに、封印してしまっていた幼き頃の私の記憶。
こんな事を書いてる私がいたんだ。
記憶が歪んで、作り上げれられた
私の思い込み。
私の心配。
それは本当の事じゃなかった。
この手紙コーナーを作ろうって言ったのは?
父かもしれない。
叔父さんや叔母さんかもしれない。
私が来るって分かって、用意してくれたのかもしれない。
みんなね〜
言葉が少ないんだと思うんだ。
だから勘違いや思い違いとかもあるんだよね。
でも。
誰も責めてなかった。
誰も嫌ってなかった。
どちらかといえば、いつも私と弟の事
心配してくれてた。
おばあちゃんも、いつも思ってくれてたんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
色んな思いがあふれてきました。
でも、いちばんの感情は
「感謝」しかありませんでした。
→長い文章を読んで頂きありがとうございます。
つづきは後編へ。
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